まじっくのたねあかし”おまけつき”ver4
人を好きにさせる!催眠術師 超養成動画マニュアル

超魔術師 Mr.マリック

超魔術師 Mr.マリック
1949年生まれ 岐阜県出身

Mr.マリックが手品に目覚めたのは中学の頃。やってきた転校生の影響だったという。県立岐阜工業高校を卒業後、ガス器具メーカーを経て、上京。手品用品制作会社に勤務し、百貨店での実演販売を経験、現在の芸を支える話術を身に付ける。
マジシャンのオリンピックといわれるPCAM世界大会に日本人として初めて参加し、クロースアップ部門で優勝。名門ホテルでのラウンジでクロースアップ・マジックのテーブルホッピングショーを確立しラウンジライブを全国展開する。そのさなかにテレビ局のディレクターに見出され1988年、テレビデビュー。スプーン曲げなどで大ブームを巻き起こし、手品に見えないその華麗な技で“超魔術師”と呼ばれる。出演番組で手品と共に披露した「ハンドパワー」「きてます」などの言葉は流行語となった。なお芸名のマリックはマジックとトリックを合成した造語である。
近年は、愛好家を増やすための活動や、国内外のマジシャンとのコラボレーションや舞台演出の監修など活躍の場をさらに拡げている。

 Mr.マリックに、ランプの精が「願い事を一つだけ叶えよう」と告げたとき、Mr.マリックは「魔法使いになりたい!」と祈った。かくしてここに、“超魔術”と呼ばれる、妖しの術を使う男が現れた。超魔術師・Mr.マリック。
  “超魔術”が“マジック”とどう違うのか尋ねてみた。――曰く、「『カバー』があるか、ないか。どこまでビジュアルで、現象を隠さないで見せきれるか。マジシャンは、色々な筒や箱や布を持ってきて、手の代わりに使う。“超魔術”は、“ハンドパワー”という、手だけで、10本の指でどこまで不思議なことがやれるかを追求した世界」。

 “超魔術”は、現象によって、いくつかの範疇に分けることができる。

現象(1)『出現』。ものが現れる――!
  Mr.マリックは、手のひらから500円玉を出現させた!
現象(2)『消失』。ものが消える――!
  Mr.マリックは、机の上の洗濯バサミを消してしまった!
現象(3)『変化』。別なものに変わってしまう――!
  Mr.マリックは、リップクリームをのど飴に変えてしまった!
現象(4)『貫通』。突き抜けてしまう――!
  Mr.マリックは、鉛筆を指に貫通させたが、指は無傷だった!
現象(5)『浮遊』。ものが宙に浮く――!
  Mr.マリックは、携帯電話を浮かせてしまった!

 超魔術は、お馴染みの“スプーン曲げ”からはじまった。すべては、私たちの目の前で起こる。まずは、一連の現象を、目をこらして検証する――。Mr.マリックがスプーンを擦っていると、スプーンは曲がってしまった! 超常現象でない限り、必ず“タネ”はある。それがわかっていても……なんとも不思議な光景である。

 『超魔術』への道は、この“スプーン曲げ”を超える現象を生み出すための戦いだった――。「見ている前で金属が曲がるよりも凄い現象は何だろうと思った。するとテレビで科学者が、『科学で解けない現象は貫通だけ』と言っていたので、スプーン曲げを超える現象は “貫通”だと思った」とMr.マリックは振り返る。

 鉛筆が1000円札を貫通する超魔術。Mr.マリックは、そのタネも明かしてくれた。そして、8年かけて完成させたという、火のついたタバコが1000円札を貫通する、究極の超魔術を披露した。「紙での“貫通現象”は完成した。いつかは、金属やあらゆるものでできるように、“貫通現象”を追いかける」とMr.マリックは言う。タネを見破ってやろうと思う、その前に、感嘆のため息がもれてしまう。これがMr.マリックの『超魔術』である。

 今回、超魔術を使うMr.マリックのテクニックの一端を、特殊カメラのレンズで捉えることに成功した!
 番組プロデューサーが差出した手のひらに10円玉を乗せ、Mr.マリックは3つカウントし、プロデューサーの手の上を軽く叩いた。果たして、プロデューサーの手の上の10円玉は100円玉へとすり替わっていた! いったい、このわずかな間に、何が起こったのか?

 1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像は、その一瞬を捉えていた! Mr.マリックは、プロデューサーの手のひらを叩いた反動で跳ね上がった10円玉を受け、同時に、手の内に隠していた100円玉を、落としていたのである。
 続いて、Mr.マリックは右手の人差し指に嵌めていた指輪を左手に飛ばし、一瞬のうちに元に戻した! だが、1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像は、そのトリックを解き明かした。目の前で見ていたはずなのに、この手並みは見破れなかった。

 そして、超魔術は進化するのである。件の“スプーン曲げ”は、さらに高度なものに進化を遂げていた! Mr.マリックは、スプーンを簡単に捻ってしまった!
 「(観客から)『怪しい』と言われた所を払拭しなくてはならない。“思考の扉を閉ざしていく”というのが私たちの考え方。必ず不思議なことが起きると、見る人はその逆を考えていく。私たちは、その思考回路を追いかけて、行き止まりにしなければいけない。それが不思議なものの作り方」とMr.マリックは、『超魔術』の核心を教えてくれた。
  そして、Mr.マリックのさらなる迷宮へと観客は誘われていくのである。
 Mr.マリックが身に纏っている、独自のコスチューム、無国籍風のマオカラーのスーツに、色の濃いサングラス。この出で立ちの中にも、Mr.マリックの、巧妙な“魔法”が仕込まれている!

 「サングラスをかけたマジシャンは世界で私が最初だったと思う。“ミスディレクション”という、相手の注意を別の所へ引くために目で誘導するのが、本来のマジックの原理。ところがテレビの画面ではそれが効かない。視聴者は一点ではなく画面全部を見てしまう。だから逆に、自分が見ている所を見られないための防御に使った。その方がメリットがあり、それが個性になった」とMr.マリックは明かした。

  このコスチュームで登場した途端、ステージは“Mr.マリックの世界”に、支配されるのである!
 Mr.マリックは、実際のステージの模様を見ながら、超魔術の世界の“作り方”を分析してゆくのである。

 「登場は大事。初めてお客さんの目に触れた瞬間には、全員が驚くことをしないと、掴めない」と言うMr.マリックに、舞台の構成の組み立て方を聞いた。「一番のポイントは、頭と最後。まず最後を作ってから、頭を作り、起承転結の転換部分を考える」と言う。

 幕開け早々、何の変哲もないバナナを掲げてから、裏をかえした。その頭には可愛い目玉がついている。「これで、バナナではなくイルカになりました!」客席から笑いが起きる。笑いの質によってその日の観客の反応を読む、チェック用のネタなのだという。
 次に、観客が全員参加する数字当てをする。観客の気持ちを掴み、全員の意識を一つにまとめる……。これで完全にMr.マリックの世界に入るという。
 スイカからSuicaを出し、水をビールに変える……。Mr.マリックの、時に人を食ったような、それでいて不思議に心地いいペースに誘われて、ライブは進んでゆく。そして観客は、彼の術中に嵌まってゆく。

 “言葉の魔術師”といわれるMr.マリックは、精緻なほどに考え抜かれ“話術”で、魔法を仕掛ける。「参加型だから、お客さんを自分の世界に誘導しなくてはならない。先に、『出来ますか?』という“誘導話法”を使うと、人は動く」と言うMr.マリックの言葉の誘導によって、観客は、言われたこと以外に、思考力が停止してしまうのである。
 そしてフィナーレには、全員参加の“スプーン曲げ”が用意されている。数百人の観客たちは、Mr.マリックの云う一言一言に素直に反応して動いてゆく。まるで集団催眠の光景がそこに。「“誘導話法”をしておいて、“サンドバッグ話法”という、同じことを繰り返し繰り返し、サンドバッグを叩くようにして、優しく繰り返していくことで、心の中へと入っていく」と言う。観客たちは、Mr.マリックに上手に乗せられて、とても幸せな気持ちに包まれてしまう。

 「なぜ、今でもこのスプーン曲げを続けているのか?」との問いに、Mr.マリックは、「結局、“人間研究”。『スプーンは曲がらない』という、人間の思い込みを外すのが魔術の役目。思い込みは、自分が自分にかけている魔術。それを解く方法は、魔術でしかできない」と答えてくれた。

 現象(6)『復活』。Mr.マリックは、破いたストローの包み紙を、元に戻してしまった!

 Mr.マリックには、魔法は、ほんとうにあるのかも知れない……ふと、そんな気にさせてしまう魔力がある。
 Mr.マリックが鮮烈なデビューをしてから、20年。常に第一線を走り続けているトップランナーは、持ち物にも気を遣っている。

 いつも携えている柔らかな人肌のような感触の子羊皮のバッグ。それは、なるべく手よりも柔らかいものを持つことで、手に負担をかけないため。超魔術は、「暗闇の中、手探りで何かをやる世界。指先の感覚だけで、今、何を持って、どの位置にあるのかが判らなければならない。一番大事なのは、手の皮膚の柔らかさ」だという。そういえば……若かりし頃のMr.マリックの写真の中にも、アタッシュケースを持つ手には、白手袋がはめられていた……。

 『超魔術』のために、Mr.マリックは、これまで人生のすべてをかけてきた。

 1949年に、岐阜県に生まれた内気な子どもだった松尾昭少年は、小学生の時、都会からやって来た転校生がやって見せてくれた“手品”に、すっかり魅了されてしまった。そのときから、ずっと夢はマジシャンになること。
 高校を出ると、一旦は就職したが、すぐに辞めて、手品道具の実演販売の仕事をはじめた。「マジックに興味のない人を振り向かせて、マジックを見せて興味をもってもらって、買ってもらう」という仕事。お客の気持ちを掴み、マジックの世界に引き込んでしまう手腕は、このときに磨かれた。「開店から閉店まで8時間立ちっ放しで、ずっと実演販売をしていた。これ程練習ができる環境はなかった」とMr.マリックは当時を振り返る。

 マジック三昧の毎日は楽しかったが、夢の時間は長くは続かない。時代は高度経済成長の頃。庶民の娯楽が劇的に増え、マジックの実演に興味を示してくれる人は目に見えて減った。師匠を持つ芸人ではないので、寄席に出るという道もない。たちまち生活に行き詰まってしまった。

 しかし、「マジックは誰にも負けない位、好きだった。だから、『一生どうやって食べていこうか……』としか考えていなかった」と言うMr.マリックがそのとき閃いたのが、ホテルのバーラウンジで、マジックを披露するということ。うがった見方をする酔った客を相手に、酔いが覚めるような手際でマジックを見せなければならない。この経験が、彼のテクニックを飛躍的に磨きあげた。

 1972年、“マジシャンのオリンピック”と言われるPCAM世界大会にはじめて出場し、なんと、クロースアップ・マジック部門で世界一を獲得! この受賞の後ろ盾があれば、マジシャンとして生きてゆける! 松尾昭は、ホッとした。

 帰国後、当時日本ではまだ数少なかった、マジックショーの舞台を努めるようになる。しかし時代はすでに、テレビが娯楽の中心だった。そしてテレビは、マジックの不文律を変えてしまった。 「現象を言わずに、パッとやっていたのがマジシャン。意外性が命だった。ところがテレビの視聴者は、食事をしながら、友達と話しながら、テレビをつけっ放しにして、そんなに真剣には見ていない。テレビの中でやろうとすると、(マジックの約束事を)全部否定しないと成立しない」――Mr.マリックは当時を振り返る。このままではエンターテイメントとしてのマジックは時代に取り残されてしまう。テレビ時代の、新しいスタイルのマジックが必要だと考えた。
 そんなとき、アメリカから、超能力者という触れ込みで、一人の男がやってきた。彼の名はユリ・ゲラー。目の前でスプーンが曲がる! 科学者まで巻き込んで、日本中が「超能力ブーム」に沸いた。しかしMr.マリックは、それを冷静な目で見ていた。「金属を折るというのは、金属疲労でできるし、力でも曲がる。科学者そのものは(超能力を)否定していた。その否定していた科学者が驚くことをやるしかない」――テレビ時代のマジックは、これだ!

 Mr. マリックは、古今東西の、あらゆるマジックを精査し、スプーン曲げよりも不思議な、新しいスタイルのマジックをどう作り上げたらいいのか、その研究に没頭した。そして、あるテレビ番組の中で科学者が、「科学で解けないのは“貫通”だけ」と言っていたのを聞いた。確かに貫通したはずなのに、穴が開いていない! そんな現象が目の前で起こったら、不思議で仕方がないはずだ。 イメージの中で、その姿が見えたのだった。

 そして1988年、Mr.マリックはテレビに登場! 超魔術師としてたちまちスターダムへと駆け上った! すべては、すぐ目の前で、確かに起こっている。 観客が、テレビ画面を介して見る、新しいスタイルのマジックが完成した!

 「テレビのフレームの中で、物にハンカチをかけて、どけて、消えていても、それは画面から一遍外したようなもの。カバーの下では何でもできるので、カバーした時点で不思議でも何でもない。今までのマジックの定義を全部守っていたら、カメラの前ではできない。『超魔術』というのは、テレビのカメラを意識した時代のマジック」とMr.マリックは語る。

 時代の要請に応えて、超魔術を生み出したMr.マリックは、期せずして、新しい時代の幕を上げた。
 Mr.マリックは『魔法使いになりたい』と思って始めたから、誰にも判らない自分だけの魔法を作りたいと語る。

 その日、Mr.マリックの姿は、長野県・上田市にあった……。
 信州名物の蕎麦の店で昼食――。しかしMr.マリックは、食事も上の空で、新しい超魔術の研究をしている……。「いつも片手で丼物をスプーンで食べている」と言うMr.マリックは、仕事で全国を廻ったが、名物のおいしい料理を食べたという記憶がない。マジック以外のことに興味がないのである。

 マジシャン・マギー司郎は、Mr.マリックをこう評する――「私もこういう商売をやっているが、『これって魔法じゃないの!』という感覚。マリックさんの家のベッドの周りには、マジックの道具や本やビデオがあって、その中に埋もれて寝ている。マジックが大好きで、愛している。仕事と趣味が全部マジック。珍しい人」。

 この日は、Mr.マリックは子供向けテレビ番組の公開録画にゲスト出演するためにやって来た。寒さのために嵌めていた手袋を外し、まずは楽屋で念入りに、爪の手入れをする……。「マジシャンは爪が命。指の一本一本の表情がお客さんに訴えていく」と言う。

 今日、用意したネタは、スプーン曲げ。舞台の上から、子どもたちと一緒にスプーン曲げに挑む。子どもたちには、素直に不思議を味わってもらいたい。今、Mr.マリックの目は、次の世代へと向かっている――。

 Mr. マリックの仕事場。この空間で、これまでにいくつもの傑作超魔術を生み出した。そして今、新しい試みに取り組みはじめている。カードマジシャンを育成するための通信教育をはじめたのである。マジシャンの裾野を広げ、次世代を担う人材を自ら育てようと思い立った。その、教育方針とは――? 「昔は、“伝承芸”といって、『顔だけ違っていればいい』と言っていた。『先生の教えた通りやりなさい』と教えていた。でもアイデアの世界だから、『“ベスト・ワン”よりも“オンリー・ワン”になりなさい』と本を通して言いたい」とMr.マリックは語る。
 近頃、Mr.マリックが出演するテレビ番組は、人気マジシャンとの対決ものが多くなった――。なぜ、このような番組に、出演するのだろうか? 「普通マジックは、誰かと戦うということは、まったく意味が無い。しかし、もっと限界まで自分を追い込むには、誰かに挑戦させる。そうすると相手は、一番得意なものを持ってくるわけだから、それに対抗して相当面白いことをやらないと、見ている人が『凄い』とは言ってくれない」と答えた。

 Mr. マリックは現在57歳。いつまで、トップを走り続けるのか? その秘訣は曰く、「全然飽きない。この“飽きない”というのが合っている。“飽きない”というものを見つけた者勝ち」。答えながら、鉛筆とポップコーンを使って超魔術を編み出していた。そして、「これぞ魔法」と笑う――。

 Mr.マリックは、いずれほんとうの魔法使いになってしまうかもしれない。
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マジック、手品のタネを明かすことは、マジックを人に感動を与えるエンターテイメントとしてとらえたとき、多くの人にとって負の要素が多いように思います。しかしながら、マジックを見る立場ではなく、その感動を人に与えようとする立場の人にとっては有益なものとなる思っています。
不思議なことに対して感動を失わずにずっと夢を持ち続けられる方に対してのみ、マジックや手品のタネや面白さを紹介していければよいかなと思っています。
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